「信仰と教育について」大川隆法総裁先生 御法話(エル・カンターレ祭)


↑宗教法人「幸福の科学」大阪正心館 ヘルメス神像

2009/12/6 本会場:総本山・正心館

法話一部紹介】
幸福の科学が考える、国家の中心的人材、世界を救える人材とは、どういう人材であるかを見ていただきたい。【法話「信仰と教育について」より】

「学校のあるべき姿」をお見せしたい

 先日、栃木県の那須(なす)にある、幸福の科学学園中学・高校のほぼ完成した校舎を視察(しさつ)したところ、実に立派(りっぱ)に出来ていました。
 三年前に、「今から三年以内に学園を創立する」と宣言(せんげん)し、ちょうど三年で学校が完成することになりました。
 2013年には、関西校を設立する予定です。さらに、2016年に幸福の科学大学を開校できるように、準備を進めています。
 いずれは、日本を背負って立つ人材を多数輩出(はいしゅつ)できるようになると考えています。
 すでにある学校教育を批判(ひはん)するだけではいけないと思うので、私たちの手で、「学校のあるべき姿」を、お見せしたいと思います。
私は、「今の学校教育は、知識的なものの習得(しゅうとく)で止まっていて、その奥にある、大事なところまで届いていない」と思っています。

「高貴なる義務(ぎむ)」を感じる人を育てる

 自己中心的なエリートを数多くつくっても、この国は良くなりません。やはり、国家のエリートといわれるような人たちは、「世のため、人のため、国家のため、そして、世界のために尽(つ)くす」ことを、尊(とうと)い使命として感じる人材でなければいけないと思います。
 そのためには、高貴なる義務、「ノーブレス・オブリージ」・・・【高い地位や身分に伴う義務のこと。】を感じる人を育てなければいけません。そして、そのバックボーンには、宗教的なるものがなければいけないのです。
 日本ではエリートの定義が間違っています。
 東京大学の卒業生や在学生を見ると、「ミスを恐れる心」「事なかれ主義」「まったく失敗せず、通り過ぎることをもって幸福とする考え方」が蔓延(まんえん)しています。これでは駄目(だめ)です。新しい時代には、こういう人たちはエリートとは言えないのです。

希望の光として世界を助けたい

 新しい時代のエリートたちは、失敗を恐れず果敢(かかん)に挑戦して、未来を拓いていこうとする人材でなければいけません。
 その勇気の根本にあるものは、やはり信仰心です。「地球全体の幸福をつくり出そう」と強く念じるならば、地球を指導している神仏への信仰心を根本に持たなければ駄目です。
 未来はまだまだつくり出していくことができます。
 これから、国内においても、世界においても、しばらくは悲観的な議論が続くだろうと思います。しかし、そのなかにおいて、私たちは、あくまでも、希望の光でありたい。この国の人々の未来をかたちづくれる強い力でありたい。世界を引っ張っていく「強い力」を持ち、慈悲の心でもって世界の人々を助け、一つにするような、「大きな運動」を起こしていきたいのです。

以上、月刊「幸福の科学」No.276 2月号より抜粋させていただきました。このような教えをお説き下さった、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生に、心より感謝申し上げます。

宗教法人幸福の科学 三帰誓願者 兼 幸福実現党員 前川謙一