hikarinobosatuとしての「はてなキーワード」編集【幸福実現党・大川きょう子・小島一郎・四無量心・無我】

幸福実現党
現実に国民を救済し幸福を具体化するためには、やはり宗教活動だけでは不十分であり、宗教法人とは別に政治団体を旗揚げする必要があると考えるに到った宗教法人「幸福の科学大川隆法総裁が旗揚げした(2009年5月に立党)政治団体。総裁は大川隆法衆院選では総裁・大川隆法THE BLUE HEARTSのベーシスト河口純之助や、「金田一少年の事件簿」「探偵学園Q」で知られる漫画家さとうふみやなど選挙区・比例計337人が出馬。結果は全員落選に終わった。なお比例区の得票は459,378票で、得票率は0.65%であった。

2009年5月24日:宗教法人「幸福の科学」東京正心館にて、幸福実現党の出陣式開催。あえば直道初代党首。
2009年5月25日:幸福実現党立党記者会見をパストラル虎ノ門にて開催。
2009年5月27日:幸福実現党立党大会をホテルパシフィック東京で開催。
2009年6月5日:幸福実現党本部にて大川きょう子新党首の記者会見が行われる。
2009年8月16日:役員会において、大川隆法総裁が2009年衆議院選において「比例近畿ブロック第1位」で出馬することに最終決定。本地川瑞祥(もとちかわずいしょう) ⇒ 党首代行(比例東京ブロック1位)。あえば直道党首代行(比例東京ブロック1位)⇒宣伝局長(比例東京ブロック7位)に変更
2009年9月2日:本地川瑞祥党首代行は、衆院選の結果の責任を取り辞任。後任選出の選挙の結果、改めて、本地川瑞祥が改めて選出され、党首に即時就任。
2009年9月12日:衆院選の結果を受け、大川隆法総裁が、党総裁を辞任。党首および三役も辞任。新たに木村智重(ともしげ)党首・林雅俊幹(まさとし)事長・黒川白雲(はくうん)政調会長(留任)・松島宏典(ひろのり)総務会長・佐藤直史(なおふみ)選挙対策委員長田中順子広報本部長(留任)・饗庭直道(あえばじきどう)広報本部長代理が選出される。
2010年4月より、党首は石川悦夫が就任。
2010年5月に大江康弘改革クラブから移籍して国会に議席を持つこととなった。
2010年7月参院選では24名(選挙区19名、比例代表区5人)が出馬、全員が落選した。得票は比例区で229,026票で、得票率は0.39%であった。
2010年7月、石川悦男党首が辞任を表明したことをうけ、新党首として、立木秀学(ついきしゅうがく)を選出することを決定。

大川きょう子
大川きょう子立宗名誉補佐。宗教法人幸福の科学副総裁。大川隆法総裁夫人。三男二女の母。1965(昭和40)年、秋田県生まれ。東京大学文学部英文科を卒業し、1987年より天上界から啓示を受ける、1988年4月に大川隆法総裁と結婚。立宗以来、総裁補佐、「アフロディーテ会」会長、副総裁を歴任している。著書に『「幸福実現党」党首の決断』『開運の方法』『ひとにぎりの愛を』『母としての幸福』『ほんとうの自分をさがして』『運命を開く鍵』『未来への贈り物もの』『母親の価値ある仕事』『守護霊の秘密』『人生すべてに学びあり』(幸福の科学出版刊)、『天使を育てる教育法』『未来をはぐくむ教育法』(幸福の科学教典部刊)などがある。

【小島一郎】
1971年3月29日東京都生まれ。日本大学理工学部を卒業後、宗教法人幸福の科学に奉職。幸福の科学中野支部長、幸福の科学出版株式会社 部長などを歴任。2009年、幸福実現党に入党。同年の衆議院選挙において、東京16区から出馬。現在は、幸福実現党 幹事長代理。

【四無量心】
慈無量心(じむりょうしん)・・・全ての人の幸福を願うこと。
悲無量心(ひむりょうしん)・・・全ての人の苦しみを取り除いてあげたいと願うこと。
喜無量心(きむりょうしん)・・・他人の幸福な姿を見て、心から喜んであげられること。
捨無量心(しゃむりょうしん)・・・他人の幸福な姿を見ても、執われのない心でいられること。

【無我】
煩悩の発生源としての肉体的な自我感覚というものを否定すること、同時に、真実なる自己というものは肯定して伸ばしていくという考え方で、否定と肯定の両方を含んでいながら、そのどちらにも偏(かたよ)らずに、両者を見ながら伸ばし、成長させていくものの見方・考え方のこと。